国際婦人年連絡会|私たちは黙らない 女性の権利を国際水準に!

組織沿革

国際婦人年連絡会とは

国際婦人年連絡会は、国連が提唱した国際婦人年1975年を契機に結成され、ジェンダー平等をめざし33加盟団体が結集し活動しています。
1998年に国連経済社会理事会(ECOSOC)の特別諮問資格を取得して以来、毎年3月に国連本部で開かれる国連女性の地位委員会(CSW)に加盟団体から推薦を受けた代表者たちが参加しています。

 

Ⅰ 国際婦人年連絡会の成り立ち

*戦前の女性団体の活動経験を受け継ぐ

国際婦人年連絡会は国連の提唱した国際婦人年(1975年)を契機に結成された会ですが、その活動は、 第 2 次世界大戦前の女性団体の活動経験に連なるものです。なかでも、活動方針や運営方法、加盟団体などの点で、多くの類似点を持っているのが、関東大震災(1923 年 9 月 1 日)をきっかけに生まれた東京連合婦人会です。

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同会は、日本キリスト教婦人矯風会の久布白落実らが東京市役所から依頼された「被災母子へのミルク配布活動」への参加呼びかけに応じて、集まった女性団体や個人により結成され、当初、震災救済活動を中心に、各参加団体の連絡機関の役割を担いました。初代委員長は守屋東、2 代目は河井道子、1927 年からは吉岡彌生が務めました。 1933 年には 47の女性団体が結集し、主に婦人参政権運動、廃娼運動、選挙粛清運動などを通し、女性 の社会的地位向上を目指しました。
*婦人参政権運動の伝統

1922年5月に治安警察法第5条第2項の改正(女性も政談演説会の主催、参加の権利を得る)に成功したあと、これを推進してきた新婦人協会が解散したので、矯風会内のキリスト教婦人参政権協会や東京連合婦人会の政治部などが中心となって協議し、1924 年 12 月に「婦人参政権獲得期成同盟会」が結成されました。

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しかし、翌1925年3月成立の普通選挙法から女性は除外されたため、普通選挙は普通ではないと皮肉をこめて、会の名称を「婦選獲得同盟」と改称して運動を展開しました。 同会は 1923 年にアメリカから帰国し、新設の ILO 東京支局に勤務していた市川房枝が中心となって活動し、東京連合婦人会の有力な推進団体の一つとなりました。 しかし、満州事変に始まる 15 年戦争下で、同会は、 1931 年に大日本連合婦人会の加盟団体となり、これは、1942年2月に、大日本婦人会に改組されて、大政翼賛会の傘下に入ります。こうして、東京連合婦人会の実質的な活動は途絶えました。(東京連合婦人会の成立経緯と加盟団体一覧は、 『連合婦人』1 号、1928 年5 月1 日参照)
*戦後の男女平等法制の問題と増加する勤労女性

敗戦後の日本では、1945年の女子教育刷新要綱 (大学・専門学校の共学)、衆議院選挙法改正(婦人参政権実現)、46 年の日本国憲法公布、47年の教育基本法・学校教育法成立、民法改正、労働基準法成立のように、数年間に政治、経済、労働、教育分野での男女平等法が法制度的に整備されました。

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しかし、両性の平等を規定した日本国憲法第 24 条の制定過程で行われた貴族院委員会での論議で、「『本質的平等』と云うの は、差別ある平等と云う意味」であるという発言に、両性の平等に反対の議員も納得したという経緯があり、このような差別的な平等理解は、あらゆる分野のその後の法整備等に問題を残す一大要因となりました。 1970 年代には女性の労働構成が二つの意味で変化します。まず、70 年には雇用労働者が家族従業者を抜いて、全女子就業者の 54.7%で最も多くなり、75 年には女性雇用労働者の構成は、未婚者より既婚者が多くなり、配偶者と子どものいる既婚女性が就労を継続するというケースが次第に一般化しました。こうして、その時代の課題の解決のために結集した、さまざまな分野の女性団体の支え手には、女性雇用労働者を初めとして、働く女性たちの比重が増すことになりました。 このような時代に、国連は1975年を国際婦人年とすることを提唱しました。

Ⅱ 1975年国際婦人年連絡会結成大会から

*1975年結成大会とその後の展開

国連が提唱した国際婦人年の目標「平等・開発・平和」の実現に向け、あらゆる領域で活動している日本の全国組織のNGO女性41 団体が思想・ 信条や活動分野の違いをこえて結集し、1975 年 11 月22日に「国際婦人年日本大会」が開かれました。この大会で採択された決議の実現のために引き続き連帯して行動しようと、同年12月に「国際婦人年日本大会の決議を実現するための連絡会」(委員長市川房枝・現国際婦人年連絡会)」が結成されました。

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以来、国際婦人年連絡会は、国連の世界女性会議 (1975 年メキシコ、1980 年コペンハーゲン、1985年ナイロビ、1995年北京)にほぼ呼応して、1980年、1985年、1990年、1995年、2000年、2005年、2010年、2015年、2020年と、5年毎に日本女性大会を開催し、更なる課題に向けて民間女性団体として具体的な行動目標を立て活動を展開してきました。
たとえば、2004年には、35万5853人の女性差別撤廃条約の選択議定書批准署名を国会に提出しました。これは以後、継続して取り組まれ、現在は女性差別撤廃条約実現アクション(OPアクション)の加盟団体として、同条約の選択議定書早期批准を求める取り組みを進めています。
*国連経済社会理事会の特別諮問資格をもつNGOとしても活動

日本女性大会で決議された行動目標を実現するため、国連をはじめ、政府、自治体、政党、企業、メディアなど関係諸機関に要望書を提出し、申し入れを行い、声明を公表し、女性国会議員と交流し、歴代総理大臣には男女平等政策の推進と機構体制の強化を一貫して要望してきました。その結果、男女共同参画社会基本法の策定と男女共同参画局の新設など女性行政推進機構(ナショナル・マシナリー)の実現をみました。

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その後も、2020年12月に閣議決定された第 5 次男女共同参画基本計画に至るまで、「平等・開発・ 平和」の実現を目指す観点から、男女共同参画局へ国内行動計画に盛り込んでほしいことの要望書を提出し、意見交換を行う等の積極的な働きかけをしてきました。5 年毎の日本女性大会は、行動計画の実現に関する評価・点検を実施し、次の5 年間に取り組むべき課題を明らか にする機会となっており、加盟団体の総意に基づいて運動を発展させてきました。 国際的にも 1998 年には国連経済社会理事会の諮問的地位をもつNGOとして特別協議資格が認められ、1995年の第4回世界女性会議、2000年の国連特別総会「女性2000年会議」、2005年「北京+10」会議、 2010年、2015年などには政府代表団顧問として、当連絡会から代表が参加しました。また、国連女性の地位委員会(CSW)開催期間中には国連代表部、国連 NGO 国内女性委員会、日本女性監視機構(JAWW)など他のNGOと共催のサイド・イベントを行い、情報発信をしています。

Ⅲ 構成団体 目的に賛同する加盟団体で構成する。

加盟団体は全国組織であり、代表者が明確であること。規則、会則等があること。
連絡会担当委員を1名選任すること。