1. 国際婦人年連絡会結成時から現在までの活動を振り返って

国際婦人年を迎える直前の1974年12月に、国連NGO国内婦人委員会の呼びかけによって、全国組織を持つ30の民間女性団体が集まり、国際婦人年記念集会を東京で開催するための相談会が持たれた。そこで、故市川房枝先生を委員長とする実行委員会が結成され、準備を重ねて、1975年11月22日に、神田共立講堂において、内閣総理大臣三木武雄氏の出席も得て、盛大に国際婦人年日本大会が開催されたのであった。このとき参集した女性団体数は41団体であり、大会後に共同運動の必要性を感じて、最初は参加各団体の幹部による個人組織として、「国際婦人年日本大会の決議を実現するための連絡会」を同年12月に結成し、やがてそれは、全国女性団体による組織となった。その後新しく加盟した団体も加えて53団体になった時期もあったが、現在当初の加盟団体と同数の41団体が加盟している。

1980年、連絡会は「国連婦人の10年・中間年日本大会」を、「国連婦人の10年・中間年世界会議」の決定を踏まえて、前回と同日の11月22日に日比谷公会堂で、全国から2300人の女性が参加して開催した。さらに、1985年には、同じく11月22日に日比谷公会堂で国連婦人の10年を締めくくる「国連婦人の10年日本大会」(約2000人参加)、90年11月17日「民間女性会議」(憲政記念会館にて約380名参加)、95年11月22日、日比谷公会堂で「NGO日本女性大会」(1900人参加)、2000年11月18日には千代田区公会堂で「女性2000年NGO日本大会」(約900人参加)と5年ごとに大会を開いて、現在に至っている。

2001年には、正式名称を「国際婦人年日本大会の決議を実現するための連絡会」から「国際婦人年連絡会」へと改称した。数が多いことが必ずしも勢いのあることを示すわけではないが、女性大会に参集する人数の推移を見るとき、徐々に参加人数が減少していることに気付く。女性の地位向上を目指して、「平等・開発・平和」のスローガンを高く掲げ女性たちが集い、語り合い、連帯して活動した30年前、20年前、10年前の勢いが、現在、やや弱くなっているように感じられる。確かに、この30年間に主要なものだけをあげても、女子差別撤廃条約の批准「男女雇用機会均等法、」「育児・介護休業法」、「男女共同参画社会基本法」、「配偶者暴力防止法」などをはじめ男女共同参画会議の設置、内閣府男女共同参画局の推進体制、そして男女共同参画基本計画の策定等、つぎつぎに「平等・開発・平和」実現のための法整備は行われた。しかし、現実にそれらの法制が生かされているかというと、まだまだ「道遠し」の感はぬぐえない。

女性運動の勢いがやや衰えたかのように見える理由としては、次のようなことが考えられる。すなわち、忍従を強いられ、選挙権も与えられず、男女不平等の中で黙々と働いてきた戦前の女性たちの苦労が、「そんなこともあったのか」と軽く受け止められ、実質はともかく、法的には整備されつつある男女平等を当たり前のこととして受け止め、物質的な豊かさを追求し、世界の情勢にも、国の政治の動向にも、「女性は家庭へ」という動きにも、男女平等に対する反対勢力の勃興にも、無関心という人たちが残念ながら増えてきたことによるのではなかろうか。また、この傾向は、特に若い女性の間に多く見られる(たとえば、総選挙における20代女性の投票率の低さ)が、その影響もあるのか、女性団体にも高齢化の波が押し寄せており、国際婦人年連絡会の各加盟各団体とも会員の高齢化は著しいものがあり、中には、後継者が得られないまま会を解散し、連絡会からも自動的に退会となったものもある。

一方、今回の総選挙の結果に見るように、女性議員の数は確かに増えたが、その選ばれ方を見るとき、地道に草の根で、女性の地位向上を目指して努力する人材の登用が欠けていて、決して手放しで喜んではいられないものがある。また、「ジェンダー」という言葉すら「家庭を壊す元凶」と言う極論が堂々と論じられたり、男女共同参画社会基本法の改廃まで口にする人たちが出てきていることの危険性に気付かないままでいる人たちも多いのではなかろうか。各地で見られるいわゆるジェンダーに対するバックラッシュの傾向はじわじわと拡がっており、この5年間は私どもの目指す「平等・開発・平和」を推進するよりも、むしろ後退させないために努力を続けざるを得ない状況であった。

2002年には、民法を改正し「選択的夫婦別姓制度」の導入を願って請願や集会をおこなったが、実現するに至らなかった。また、女性蔑視発言などで物議をかもした石原都知事の意向を反映してか、都財政赤字の財団整理の最初にあげられ、1992年に設立された財団法人東京女性財団の廃止が、2003年に決まった。この財団は東京都が運営基金を出資し、その利子による運営は民間に委ねられていて、ウィメンズプラザの運営や民間の女性問題研究への助成など、先進的な活動を行ってきたが、廃止に至ったのは都行政の後退である。また、2004年には国立女性教育会館を国の青少年関連施設法人と統合させるという方針が打ち出された。国立女性教育会館は、1977年の設立以来、研修・情報・調査・交流の4機能を持ち、女性たちの活動の拠点であり、途上国の女性政策担当者の研修や施策のモデルとしても大きな役割を果たしてきたもので、これを青少年関連施設法人と統合させるということは、合理化の名の下に、男女共同参画施策を後退させることになると主張して、国際婦人年連絡会では要望書を内閣官房長官・男女共同参画担当大臣をはじめ各関係大臣および委員に要望書を提出した。この強い反対表明と、独立行政法人に関する有識者会議の座長と面会をして、反対の理由を訴えるなどしたことに加えて、海外を含め多く反対運動があったことが功を奏したのか、独立行政法人国立女性教育会館は単独の法人として存続できることになったのである。

今回のこのNGO日本女性大会において、私どもは、次の5年に向けて、こうしたバックラッシュの流れをせき止めるだけではなく、ジェンダー平等と平和な社会を目指して、さらに大きな一歩を踏み出す力を得たいと願っている。私どもの「男女平等の主張」すなわち、生物学的性別によるそれぞれの違いはあるが、それによって男と女の役割分担を固定化したり、個人の能力や趣向により自由に活動できる社会作りに反対することがあってはならないという主張を、理解し受け止めてもらう努力がいっそう必要であることを痛感する。国際婦人年連絡会においては、このため、各分野で勉強会や討議を行い、政府に対する要望書、自己の立場を明確にするための声明文を発信し、また、毎年テーマを決めて集会を開いてきた。